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いつかくる幸せ

私は結婚して18年、最初の3年間は幸福
でしたが残りの15年は病気との闘いの
日々です。

発病した当時は2歳だった子供は父母に
預けられ、夫は実家から仕事へ通う生活
になってしまった。

私はとても精神的に不安定になり、
入院が決まった前日、
夫に私と離婚してほしい旨を告げました。

当時夫は28歳、今なら若いし将来のことを
考えると別の健康な女性と、やり直して
欲しいと考えたからでした。

そのときの夫の答えは

「病気が離婚の理由にならない。オマエは
 オレが病気になったら離婚するのか」

と言われた言葉が励ましになり、この時に
私は今度夫が病気になったら絶対私が看病
して恩がえしがしたくて今日まで頑張って
来ました。

退院後も病状はすぐれず寝たり起きたりの
生活で、食事を作ることもままならず、
育児も苦痛で、たびたび父母に預ける生活
が続きました。

あるクリスマスイヴの夜、私は病院の
ベッドの上でした。自宅に置いてあった
クリスマスツリーとケーキを病室にもって
きてくれ、親子三人でささやかにイヴの
お祝いをしました。

やがて面会時間が終わり、夫と子供が帰り
一人病室に残された私は、
窓の外のシンシンと憤もる雪を見ながら、
どうしてこんなことになってしまったのか
と、己をうらみ、また悔しさと悲しさで
心の中の不安が交錯する中、フトンを
かぶり声を殺して朝まで泣きました。

あれから十数年、子供が中学生になった
ころから私の自宅が病室に代わり、
相変わらず寝たり起きたりの生活だけれど
も、夫が家事を、子供がそうじを分担して
家の中のことをしてくれるようになり、
私も通院で生活できる状態にまでなって
きました。

そんな少し落ちついた生活が戻ってきた
ころに、夫の仲の良かった友人が突然
亡くなりました。

妻子を残して、40歳の若さでした。
私は、とても不安になりました。
もし今、夫が万一なくなったら…。

そのことを考えただけでも気分が暗くなり
ました。そして夫に思いきって私の胸の内
を告げました。

「私は、たとえあなたがどんな姿になって
 も生きていてほしい。植物人間になって
 も生きていてほしい」

あとは涙で言葉にならなかった。夫は無言
だったが、たぶん友人のことを思い、
夫も泣いていた。

夫には、亡くなった友人のぶんも長生きし
てほしいと思う。残された二人の娘さんと
奥さんを助けなながら。

そんなこんなで、私も夫も悲しい生活から
やっと立ち直りかけていた矢先、今度は夫
の父が突然亡くなった。

春のワカサギ釣りに出かけて大量に釣り、
帰ろうとして急性心不全でたおれ、
そのまま帰らぬ人となった。

まだ74歳だった。夫は施主となって忙しく
葬儀を取りしきり、私は夫がたおれるので
はないかと心配でたまらなかった。

それでも無事、葬儀を終えて、なんとか
自宅へ戻ってこれるようになった。

そんなこんなで、私のこと友人のこと、
父のこと仕事のことで、夫のストレスは
たまりにたまっていたのだろう。

どんなことにもへこたれない、強い丈夫な
夫が円形脱毛症になっていたことに気が
付いた。

長い間のストレスで夫の体は、心の中で
ひめいをあげていたのだ。

悲しくて、どうしょうもなくて涙がとめどなくこぼれました。

「こんな私と結婚して、
 しあわせだったの?」

と、今、夫に問いかけてみたいけど、
運事を知るのが怖くて、
いまだに聞けないでいる私です。

私の病気は、たとえ完全に治らなくても
いいから、今のままの、我が家にとっては
少し平和な状態が、少しでも長く続くこと
を願っています。

わが家の親子3人は、他の家族よりも苦労
は何倍も多いけれどお互いがささえ合って
一日一日を一生懸命生きています。

亡き父がいつも言っていた

「人生、悪いことばかりは続かない。
 いつかは幸せな日が来るから」

という言葉を心のささえに、頑張りたいと
思います。


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何をもって幸せと言えるのか・・・
考えさせられる話です。

健康でお金にも困ってなくて、無い一つ
不自由ない生活をしていても、夫婦間が
ギスギスしていたら、それは不幸なのかも
しれませんからね。


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